主なる神はわたしの耳を開かれた。 わたしは、そむくことをせず、 退くことをしなかった。
しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。
彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、
おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
その時、見えない人の目は開かれ、 聞えない人の耳は聞えるようになる。
わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになさることはない」。
もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
あなたはこれを聞くこともなく、知ることもなく、 あなたの耳は、いにしえから開かれなかった。 わたしはあなたが全く不信実で、 生れながら反逆者ととなえられたことを 知っていたからである。
それですから、アグリッパ王よ、わたしは天よりの啓示にそむかず、
そうすれば、われらはあなたを 離れ退くことはありません。 われらを生かしてください。 われらはあなたのみ名を呼びます。
主はわたしに言われた、『彼らが言ったことは正しい。